東京都千代田区飯田橋 4-8-13 タカラビル9階
JR中央・総武線、東京メトロ有楽町線/南北線/東西線、都営大江戸線
飯田橋駅 東口、またはA4出口より徒歩1分
おくだ みのる
1953年 東京生まれ
(社)コンピューターソフトウェア協会、日本ベンチャー学会、ビジネスモデル学会、(社)情報処理学会、東京商工会議所、日本デザイン学会、(社)日本材料学会 会員
1976年 早稲田大学理工学部卒業後、ソニー(株)入社。AV機器の開発に携わる傍ら、ソニーで初めての3次元CADを導入した。以後、高密度基板設計、部品実装技術などを担当し、1992年~映像関連技術部門、CAV開発技術部門、情報システムセンター、生産技術研究所、R&D戦略部等で、統括部長を歴任。技術情報システムの統括責任者として、全社のデジタル化に対応する設計・実装技術革新等、ITを駆使した新しい商品開発、生産体制づくりをリードした。
井深・盛田氏没後、1999年 メイトリックスワン(株)日本法人設立に参加、副社長に就任。 インターネットコラボレーションによる設計・生産システム構築により、本田技術研究所等のプラットフォーム開発とコンサルティングを行う。
2001年12月、前職での経験を活かして、産学官診共同で中小企業の優れたモノづくりを支援する環境とサービスの提供を行っていくことを目的とし、ウィッツェル株式会社を設立。
1987年 ソニー(株) テレビの機構設計を担当。
7年の米国赴任を経て情報システム部門設計システム開発に従事
2002年 ウィッツェル(株)立ち上げに参加。取締役 就任
1986年 (株)キャディックス システム開発部長
2000年 日本サイバーサイン(株)代表取締役社長
2004年 ウィッツェル(株)取締役 就任
これは、私達が育ったソニー株式会社(当時東京通信工業)の設立趣意書の中で、会社設立の目的の第一項に掲げられた言葉です。1946年に井深大氏が掲げたこの理念こそが、まさに今の日本製造業復権のキーワードではないでしょうか。井深氏は、「技術屋」という“人種”は、本当に自分が作りたいモノを作らせると凄い力を発揮することを知り、そして同時に何がそうした技術者のやる気を阻害するものであったかを知り、自然に創業に至ったと回想しています。
好きなことに没頭し、他の追随を許さないほどに抜きん出た技術者(達人)は確かに今日もなお、まだまだ日本に大勢いることを、私達もこの目で確認しています。しかし今日彼らは多くの場合、所謂「技術屋」「下請け」と呼ばれ持っている技術に対し、正当な社会的評価・社会的地位を受けているとはとても言えません。
今日のモノづくりは、米国的事業感の浸透、あるいは台頭するアジア勢力に対抗するため、大きな会社組織を中心とした効率化・低コスト化を求めるマネージメント力が優先されて来ました。これらは日本の再生の為に必要なことでもあり、益々顕著になる傾向があります。 しかし、反面、優れた製品を生み出す職人的な技術者達の自由闊達な発想を束縛し、時には誇りさえも奪ってしまっているかに見えます。技術者のやる気を阻害するものが浸透し、日本にとっての大きな損失は再び繰り返されようとしている様に感じます。日本が混迷を深めている今日、なんと勿体無い話ではないでしょうか。
日本の製造業を再生するには彼ら技術者の誇りと集中力を呼び戻し、その能力を最大限に生かすことが最も近道なのだと思う。そのために次の2つのことが必要だと考えています。
ITが進歩し、この理想のシステムが実現可能な時代になった今、私達は「モノづくりのプラットフォーム」を作るために、ウィッツェル株式会社を立ち上げることを決断しました。ITによるコラボレーションはまさに現在の”理想工場”を現実ものにする手段なのです。プラットフォームが会社組織に代わる新たな自由闊達な組織力を生みます。 腕におぼえのある技術者・個人事業主・中小企業・ベンチャーなど多くの人が、このコラボレーションに参加してほしいと願っています。そして新しいこのシステム(社会)こそが、他の追随を許さない“モノづくり“を実現し、日本の製造業復権に大きな役割を果たすと確信しています。
私達の使命
ベンチャー・中堅・中小製造業の優れたモノづくり技術を、インターネット上でコラボレートするためのソリューション・プラットフォームを提供すること。